らき☆すた #1

淡々と会話が続くだけだったのではじめて観たときはあまり楽しめなかったんだけど、繰り返し観ているうちになんだか楽しくなってきた。というか、たいした内容もオチも無い会話シーンを飽きずに何回も繰り返しで観ている自分に気付いて驚いた。なんだろう、他のアニメとは違うタイプの面白さがあるな。すごく新鮮&幸せな視聴体験をさせてもらった気がする。

僕が特に好きなのは昼休みの教室で弁当を食べつつ会話するシーン。このシーンを観て思ったんだけど、「言葉」のキャッチボールってそれ自体が面白いんだな。みゆきが発した「言葉」をつかさが受け取って今度はこなたに向かって投げる。そこで何が語られているかは関係なくて、ただ「言葉」があっちからこっちへ飛んでいく、その往復運動をみているだけで幸せになれる。物語もドラマも笑いも生み出さない、ただの戯れ、遊びのためだけにする「言葉」の遣り取りの面白さに改めて気付かされた。

このアニメって実は想像以上にすごいんじゃなかろうか。昼休みの会話シーンなんてまるで自分も当事者として参加しているかのような錯覚すら覚えるわけで。台詞のリズム、カット割りのタイミングなんかはすごく緻密に計算されてる気配がする。勘だけど。

昼休みの会話シーンに関連して。つかさの役割を強調しておきたい。机を挟んで対面する二人(こなた&みゆき、または、こなた&かがみ)の間で楽しそうにしてる彼女が居なかったらあのシーンの楽しさは半減してたんじゃないかな。相手の話を引き出したり別の誰かに話を振ったり、会話の潤滑油としての彼女の役割は見逃せないと思う。もしかすると彼女が視聴者の対面に座っていた*1からこそあのシーンは楽しかったのかもしれない。

話が飛ぶけど、最近『監督 小津安二郎』(蓮實重彦筑摩書房)という本を読んでいるのでそこからの連想なんだけど、小津映画の会話シーンてこのアニメみたいな感じなのかなーと思った。小津映画は一本も観たことないので単なるイメージでしかないんだけど。それと、ひょっとして笠智衆ってつかさみたいな感じなのでは。

*1:机の四辺のうちひとつだけが空いていたのは、そこが視聴者のために用意された席だったからではないかという妄想に基づく意見