ふつうにふつうを劇的に表現する

いまだに『らき☆すた』第1話を繰り返しで観ています。さすがに全編通して観るのはつらくなってきたんだけど、その分、観ていて楽しい部分とそうでない部分の差がはっきりしてきたわけで……。やはり、昼休みの会話シーン(特にAパートの方)の楽しさは特別だな、と。
らき☆すた』本編ってほとんど動きがなくて会話ばっかりというイメージがあるんだけど、例外的にすごく「動いてる」感じがするシーンがあって、それが昼休みの会話シーンだったりする。特に、喋ってるキャラのバストショットだけを連続でみせていくところの「動いてる」感と気持ちよさはすごいと思う。キャラクターもカメラも動いてないのに画面から運動性らしきものが感じられるってすごい。大好きなシーンです。
この「動いてないのに動いてる」感じがどこから出てくるのかをずっと考えてたんだけど、これって「カットが切り替わる動き」からきてるんじゃないか、と気付いた。動き=映像の変化と考えるなら、カットの切り替えも動きと言えるわけで。キャラクターやカメラが動かなくても、視聴者に「動いてる」印象を与えることはできそう。それに昼休みの会話シーンの場合、カット切り替えの前後で目線の向き(方向性)が変化するから、視聴者の視覚印象上の変化はさらに大きくなるはずで。この視覚印象上の変化を無意識的に感じ取っていたから、先の記事で「キャッチボール」「往復運動」いう表現を使ったんだな。なるほど。
ちなみに、『らき☆すた』第1話(A〜Cパート)の総カット数をざっと数えたら197カット。30分のテレビアニメとしては異常な少なさだと思う。*1

*1:平均的なアニメで300〜350カットぐらいだろうと、僕は認識してます。