ガラスの仮面 #9

亜弓の通し稽古を垣間見たマヤが、あまりの実力の差に絶望してしまうというシーンがあったけど、視聴者である僕には、亜弓の演技の凄さは全く感じられなかった。
少女漫画ではモノローグが重要な表現手段として確立されているという話を聞いたことがあるので、原作漫画だったら亜弓の実力を十分に表現できていたのかもしれない。しかし、このアニメにおけるマヤのモノローグはいわゆる説明台詞でしかなかったように思う。
亜弓の実力を描ききれないということは、それと対比されるべきマヤの絶望も描けないわけで。難しいとは思うけど、少女漫画をアニメ化するにあたって、なにかひと工夫があっても良いんじゃないかな、と。
それに比べると、マヤと月影先生の通し稽古のシーンはすごい迫力で。アニメにはモノローグよりダイアローグの方があってるのかなぁ……。